「自己肯定感」を捨てる

【社長のメッセージ】2025/10/03

 皆さんは、自己肯定感は高いですか?低いですか?
 日本人は、謙遜を美徳とする文化の影響もあり、諸外国と比べて自己肯定感が低い人が多いと言われます。成功しても「まだまだです」、「大したことではありません」と控えめに振る舞うことが良しとされる傾向が強いためでしょう。

 そもそも、自己肯定感とは何でしょうか。一言で言えば「ありのままの自分を受け入れ、肯定できる感覚」です。これは「仕事で成功したから」、「上司に褒められたから」といった条件付きの評価ではなく、長所も短所も含めて、自分の存在そのものに価値があると認められる感覚を指します。
 しかし、自己肯定感など、曖昧な判断基準に基づいた実体のない概念です。それは、行動を妨げる悪魔の道具になりかねません。

できない自分を受け入れる

 私自身は、自己肯定感が低いと思ったことはありません。むしろ高い方かもしれません。しかし、自分自身の能力が他の人と比べて高いと思ったことは一度もありません。むしろ、先天的な脳の障害を2つ持っています。

 1つ目は、脳の海馬といわれている部分が萎縮しているそうです。海馬は、日常生活で起こった出来事や、新しく学んだ情報を一時的に処理し、大脳で長期記憶として保存するために整理・符号化する「中継地点」のような役割を果たします。私の場合は、初めて会った人の名前は一秒後には忘れ、三桁以上の数字を覚えられません。会話も間延びすると記憶を維持できず、会話の理解が難しくなります。また、暗記中心の受験勉強は、ちょっと苦労します。

 2つ目は、相貌失認(そうぼうしつにん)症といって人の顔が覚えられない、分からないという症状です。胎児期の脳形成の過程で発達できなかったようです。相貌失認症の患者は日本では100人に1人の割合で存在し、症状は軽度な人から重度な人まで様々な人がいます。私は自分の母親と外出先で待ち合わせると、母親を見つけることができません。また、子供の運動会を見に行っても自分の子供を見分けることができません。イメージが出来ないかもしれませんが、周りの人が顔にストッキングをかぶっているように見えると言えば、想像できるでしょうか。

外出先で声を掛けられても誰だか分かりませんので、話しを合わせて愛想笑いをしています。以前、営業部にいた三年間、出張先では失礼がないよう、会う方全員に「また会えて嬉しいです!」という笑顔で挨拶をすることで切り抜けてきました。初対面の方は、私の作り笑顔が気持ち悪かったかもしれません。

 私は先天的に他の方よりも能力が劣っていることを認識しています。それでも自己肯定感は下げないように意識しています。なぜなら、自己肯定感は簡単に「言い訳のための都合の良い道具」になってしまうからです。

「自己肯定感」がもたらす罠

 「自己肯定感が低いから、挑戦できなかった」、「自信がないから、本音で人に言えなかった」、「どうせ自分には無理だから」。私たちは、自己肯定感を「挑戦しなかった理由」や「現状維持の正当化」に簡単に利用できてしまいます。「自己肯定感が低いから仕方ない」という曖昧で実体のない概念が、成長の最大の妨げになります。
 私たちと、世の中のエリートと呼ばれる人たちとの違いは、朝起きて顔を洗ってから寝るまでの行動で、せいぜい10%程度ではないでしょうか。残りの90%は、やっていることは同じです。
 だからこそ、自分の可能性をすべて否定する「自己肯定感が低い」という言葉で、自分自身に行動しない呪いの魔術をかけてはいけないのです。

行動こそが自己評価の基準

 もし、仮に自己肯定感というものがあるとしたら、どのようにして高められるでしょうか。私は、「適切な難易度の仕事をこなすこと」だと考えます。
 私たちの仕事のほとんどは、既に先輩や先人が道筋をつけたものです。オリジナリティが求められるのは10%以下でしょう。難しい仕事だと思ったら、先輩に聞く。先輩も知らなければ、ネットや本で知識を付け、試行錯誤する。
 「行動」し、「適切な成功体験」を積み重ねる。これこそが、曖昧な「自己肯定感」ではなく、揺るぎない「自己信頼」を築く、たぶん唯一の方法です。

「自己肯定感が低い」という言葉は、私たちが行動しない理由になり、強くなる努力をしなくなる巧妙な言い訳です。この言葉は、私たちにとって何の役にも立たない道具です。
 「自己肯定感」という名の言い訳を捨て、小さな挑戦の数を積み重ねていきましょう。